健康情報アクセスにおけるデジタルデバイド:エビデンスに基づく政策介入の検討
健康格差の解消は、現代社会における喫緊の課題の一つです。近年、社会のデジタル化が急速に進む中で、健康情報のアクセシビリティにおける「デジタルデバイド」が新たな健康格差の要因として注目されています。このデジタルデバイドは、情報機器の利用環境や情報リテラシーの格差によって生じ、個人の健康行動や医療へのアクセス、ひいては健康アウトカムに深刻な影響を及ぼす可能性があります。
本稿では、健康情報アクセスにおけるデジタルデバイドの現状を概観し、それが健康格差に与える具体的な影響について、国内外の研究動向を踏まえて解説いたします。さらに、この問題に対するエビデンスに基づいた政策介入の方向性を考察し、厚生労働省の政策企画担当者といった専門家が、今後の政策立案に活用できるような視点を提供することを目指します。
デジタルデバイドの現状と健康への影響
デジタルデバイドとは、情報通信技術(ICT)を利用できる者と利用できない者、あるいはその利用度合いによって生じる格差を指します。健康の分野においては、この格差が信頼できる健康情報へのアクセス、オンライン診療や健康管理アプリの利用、予防プログラムへの参加などに影響を及ぼし、結果として健康格差を拡大させる要因となり得ます。
具体的には、以下のような側面でデジタルデバイドが健康に影響を与えていることが指摘されています。
- 情報アクセスの格差: インターネット環境やスマートフォンの所有状況、通信費用の負担能力によって、最新の健康情報や医療機関の情報にアクセスできるか否かに差が生じます。経済的に恵まれない層や地理的制約のある地域では、この傾向が顕著です。
- デジタルヘルスリテラシーの格差: デバイスを操作するスキルだけでなく、インターネット上の膨大な情報の中から信頼できる健康情報を選別し、適切に活用する能力(デジタルヘルスリテラシー)にも個人差があります。高齢者層や教育水準の低い層では、このリテラシーが不足している場合が多く、誤った情報に影響されたり、予防行動への意欲が低下したりするリスクが高まります。
- デジタルヘルスサービス利用の格差: オンライン診療、遠隔モニタリング、健康管理アプリなどのデジタルヘルスサービスの普及は、利便性の向上に寄与しますが、その利用にはデジタル環境とリテラシーが不可欠です。これらのサービスを活用できない層は、医療アクセスの遅延や適切なセルフケアの機会を逸する可能性があります。
例えば、最新の研究では、デジタルヘルスリテラシーが低い人々は、高血圧や糖尿病などの慢性疾患管理において、自己管理能力が低い傾向にあることが示されています。また、COVID-19パンデミック下では、ワクチン接種予約のデジタル化が進んだことで、情報弱者が予約困難に陥り、接種機会を逃す事例が報告されました。このような具体的な状況は、デジタルデバイドが単なる情報格差に留まらず、生命や健康に直結する問題であることを示唆しています。
政策的課題と国内外の取り組み
日本政府は「デジタル田園都市国家構想」などを通じてデジタル化の推進を図っていますが、健康分野におけるデジタルデバイド解消への具体的な政策は、まだ途上にあると言えるでしょう。特に、高齢化が急速に進む中で、多くの高齢者がデジタルデバイスの操作やインターネット利用に不慣れであるという現状は、喫緊の課題です。
国際的には、デジタルデバイド解消に向けた様々な取り組みが進められています。例えば、英国の国民保健サービス(NHS)は、NHS Digitalを通じて国民へのデジタルヘルスサービス提供と同時に、デジタルリテラシー向上のための支援プログラムを展開しています。米国では、低所得者層向けのインターネット接続費用補助やデバイス提供、公衆図書館でのデジタルスキル研修などが実施されています。また、欧州諸国の一部では、医療機関や薬局がデジタルヘルスの相談窓口を設け、利用方法の指導を行っている事例も見られます。
これらの先行事例から学ぶべきは、デジタルデバイドが多岐にわたる要因によって形成されるため、単一の解決策では不十分であるということです。インフラ整備だけでなく、教育・研修、コンテンツの質向上、そして社会全体での意識変革が複合的に求められます。
エビデンスに基づく政策提言
健康情報アクセスにおけるデジタルデバイドを解消し、健康格差を縮小するためには、以下のエビデンスに基づいた多角的な政策介入が有効であると考えられます。
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インフラおよびデバイスアクセスの確保:
- 経済的に困難な人々に対して、安価または無償のインターネット接続サービスや基本的なデジタルデバイスを提供する支援策の検討。
- 公共施設(公民館、図書館、医療機関)における無料Wi-Fi環境の整備と、誰でも利用できるデジタル端末の設置。
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デジタルヘルスリテラシー向上プログラムの普及:
- 高齢者やデジタル機器に不慣れな層を対象とした、実践的かつ継続的なデジタルヘルスリテラシー研修プログラムの開発と展開。地域包括支援センターやNPO法人との連携強化が有効です。
- 健康情報を適切に評価し、活用するための教育コンテンツを、多様な媒体(紙媒体、テレビ、ウェブサイト、対面指導など)で提供し、アクセスしやすさを高めること。
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ユニバーサルデザインに基づいた健康情報提供:
- 行政機関や医療機関が提供する健康情報サイト、アプリ、オンラインサービスを、高齢者や障がいを持つ人々も容易に利用できるよう、ユニバーサルデザインに配慮した設計とすること。
- 専門用語を避け、平易な言葉で説明し、多言語対応を進めることも重要です。
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多機関連携による包括的支援体制の構築:
- 医療機関、地域包括支援センター、福祉施設、教育機関、そして地域住民や民間企業が連携し、デジタルデバイドに起因する健康課題を抱える個人への包括的な支援体制を構築すること。
- 例えば、医療機関の窓口でオンラインサービスの利用相談に応じたり、地域ボランティアが自宅でのデジタル機器設定を支援したりする仕組みが考えられます。
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政策効果のモニタリングと評価:
- 導入した政策の効果を定量的に測定するため、デジタルデバイドの状況や健康アウトカムの変化に関する定期的なデータ収集と分析を行うこと。
- 特に、年齢、所得、居住地域、教育水準といった社会経済的要因別のデータ収集は、政策の標的設定と改善に不可欠です。
結論
健康情報アクセスにおけるデジタルデバイドは、現代社会において見過ごすことのできない健康格差の要因であり、その解消は公衆衛生の喫緊の課題です。デジタル技術がもたらす恩恵を全ての国民が享受できるよう、インフラ整備、デジタルヘルスリテラシー向上、ユニバーサルデザインに基づいた情報提供、そして多機関連携による包括的支援といった多角的な政策介入が不可欠であると考えられます。
厚生労働省の政策企画担当者をはじめとする専門家の皆様には、本稿で提示したエビデンスと政策提言が、今後の健康格差対策の議論と具体的な政策立案の一助となることを期待いたします。デジタルデバイドを乗り越え、誰もが健康な生活を送れる社会の実現に向けて、持続的かつ戦略的な取り組みが求められています。